何が変わったか
これまで身体表象 (脳が「これは自分の身体だ」と認識する内的モデル) の柔軟性は、義肢ユーザーや訓練を積んだスポーツ選手など特殊な例で確認されてきたが、健常者が短期間に「新しい身体形態」を獲得できるかは検証が進んでいなかった。
Cell Reports に掲載された研究で、25 人の被験者が 1 週間で 4 回の VR 訓練セッションを通じ、肘・手首の動きで連動する仮想の翼を操作することで、脳が翼を自己身体の一部として表象する段階に到達したことが計測された。訓練は「鏡の前で翼の姿勢を真似る」「空中のボールを翼で弾く」「リングをくぐる」「翼を打ち下ろして揚力を生む」「翼をたたんで空気抵抗を減らす」など、飛行に関する操作を含めた多段階構成。
社会にどんな影響があるか
主たる影響として、「人間の身体は本来の形でなければならない」という暗黙の前提が脳科学的に揺らぐ。義肢開発・遠隔操作ロボティクス・テレプレゼンス・VR/AR インタフェースなど、身体形態を拡張するすべての領域で「ユーザーの脳が新身体に適応する設計余地」が定量的に語れるようになる。
副作用として、ゲーム・SNS・メタバース等の没入型 VR コンテンツ事業者にとっては「アバターを使い続けることでユーザーの自己身体感覚に影響を与えうる」倫理的論点が前景化する。長期影響・離脱後の身体感覚への波及などはまだ十分に評価されていない。
ニュースの詳細
実験では参加者に VR ヘッドセットと腕の動きを追跡するセンサーを装着させ、現実の腕の運動を仮想空間の翼動作に変換する仕組みを用いた。1 週間の訓練を通じて、被験者は「翼の映像を見ていた」のではなく「自分の腕の動きで翼を操作し、その翼で飛行する」経験を実体的に積んだ。身体表象は身体の形・動き・見た目・触覚などの情報が組み合わさり脳内で構築されるため、これらの感覚モダリティを VR で整合的に与えれば新形態でも統合される構造を示した。
キーワード解説
身体表象 (body representation / body schema) とは、脳内に保持される「自分の身体の形・大きさ・空間的位置」のマップ。視覚・触覚・固有受容感覚 (筋肉の張り・関節の角度) などの感覚情報の統合により動的に更新され、義肢の使用や道具の習熟で拡張することが古典的研究で示されてきた。
ラバーハンド錯覚 とは、被験者の本物の手を隠した状態で、目の前のゴム製の偽の手を本物の手と同時に筆でなぞると、数十秒で「偽の手が自分の手のように感じられる」現象。身体表象が視覚・触覚の同期で容易に拡張・再構成されることを示す心理学的古典実験で、本研究の VR 拡張は同系統の方法論。
仮想現実 (VR, Virtual Reality) とは、ヘッドマウントディスプレイなどで視覚・聴覚を仮想空間に没入させる技術。研究用途では身体表象・空間認知・恐怖症治療・運動学習などの計測手段として、被験者の感覚入力を精密に統制できる利点から活用されている。